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作家・松家仁之さんが語る「星野道夫がシベリアに惹かれた理由」

2024.03.21

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〔特集〕『森と氷河と鯨』のトレイルを辿って 星野道夫「時間」への旅 
アラスカを愛した写真家として知られる星野道夫さん。アラスカの大自然とそこに暮らす人々を優れた写真と文で伝え続けた。主なフィールドは北極圏。ツンドラの広がる大地を大きな群れで旅するカリブーの写真は、見る者に生命の意味を問いかけた。

その星野さんがもう一つ大きなテーマとして取り組んでいたのが南東アラスカだった。「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」は、リアルタイムに南東アラスカを旅した記録で、1995年に家庭画報本誌で連載が始まる。だが、翌1996年8月、取材先のロシアで熊に襲われるという事故で星野さんは急逝。連載は中断となる。

神話の時代に思いを馳せ、示唆に富んだ言葉の数々が鏤(ちりば)められた未完の連載をまとめた本は読み継がれ、今なお新たなファンを生み出している。


「森と氷河と鯨」の最終的なテーマは「時間」だと星野さんは考えていた。いったい物語はどこに着地しようとしていたのだろう。証言と記録資料で、星野さんが届けようとしたメッセージに迫ってみた。

前回の記事はこちら>>
特集「星野道夫時間への旅」の記事一覧はこちら>>>

星野道夫がシベリアに惹かれた理由

何が星野さんをシベリアに掻き立てたのか。遠い過去を見つめる中で何を思っていたのか。編集者として長年にわたり星野さんと向き合ってきた作家の松家仁之さんに話を聞いた。

過去に集めてきたものが、最後にパズルのようにカチッとはまり、そこに一枚の絵を見たのではないだろうか


松家仁之(まさし)作家・編集者

新潮社の編集者時代に雑誌や書籍で星野道夫のエッセイや写真集を手がける。退社後、作家として活躍。代表作に『光の犬』など。

大自然や野生動物への関心は“時間”という次の段階に入った

1980年代の終わり頃、初めて私がアラスカに行った時に星野さんから聞いた忘れ難い話があるんです。

一つは、子どもたちにこのアラスカの大自然を見せたいということ。そこで見たり感じたりしたことを言葉にするのではなく、経験や記憶としてそのまま持ち返ってもらいたい、すぐに役立たないかもしれないけれど、大人になって何かに行き詰まったり、困ったりした時に間違いなくおおきな励ましになるから、と言うんですね。

もう一つは、アラスカという土地に関わってきた人々の歴史をしっかり残しておきたいということ。アラスカの昔を知る老人に今はまだ会うことができる。でも老人が亡くなってしまえば、それは図書館が焼け落ちてしまうのと同じこと。そうなってしまう前に彼らの経験や記憶を聞きだして記録に残しておきたいのだと。

「森と氷河と鯨」の連載と同時期に『SINRA』で連載した「ノーザンライツ」は、1940年代にアメリカ本国からアラスカにやってきた二人の女性パイロット、シリアとジニーの物語です。二人がフロンティアの時代のアラスカで何を見てきたのか、なぜ仲間たちとキャンプデナリというロッジを建てたのか、アラスカ核実験場計画の反対運動に加わってゆく顚末まで、二人の小屋に通いつめた星野さんが、じっくり聞きだした物語でした。

それまで星野さんが仕事の主軸としていたアラスカの大自然や野生動物、あるいは自然と共生する形で生きている人たちというテーマに、新たに時間軸というものが加わったんですね。2つの連載に共通するのは、語り継がれてゆかないと誰も知らないまま見えなくなってしまうアラスカの歴史です。

高校生の頃、星野さんは冒険への憧れがあって、明確な目的を持たないまま船でアメリカに渡り、ヒッチハイクをしています。北に対する憧れもあって、最初それは北海道に向かいますが、のちにアラスカに強くひきつけられ、遂には住むことにまでなった。

写真を学んだのも、アラスカにとどまるための手段だったような気がします。見事な写真を撮りながら、ネイティブの人たちやシリアとジニーのような人と知り合い、アラスカに生きる人たちはどこからやってきたのかを知ろうとするようになります。

星野さんの関心がアラスカの自然にとどまらず、人々への関心へと深まっていったんですね。その未知のドアをノックして、入って行った部屋が「ノーザンライツ」であり、「森と氷河と鯨」であったのではないかと思います。

写真家は現在の瞬間を切り取って固定するのが仕事ですが、星野道夫さんはその枠を乗り越え、次のドアを開けた。アラスカに眠っている時間を掘りおこし、北米大陸とシベリアがベーリング海で繫がっていた時代まで遡り、自らシベリアにまで足を運んで、50年前のアラスカを発見することになる。そのあとで向かったカムチャツカで不慮の事故に遭ってしまいますが、なすべき仕事を終えて帰還したようにも見える。なんという生涯かと思います。

聡明で心の開かれた人でしたから、事故に遭わなければ、その後も我々が想像もつかないような「次の部屋」の扉を開けた可能性はあると思います。しかし星野さんの歩んできた道をふりかえってみると、高校生から43歳で亡くなるまでの道筋は、惚れ惚れとするような、くっきりと見事な轍を残してくれた、という気がします。

その後を変える人との出会い。それは偶然であり必然だった

星野さんの仕事の鍵となるのはやはり、つねに具体的な人なんです。神話に関心を持ったとしたら、神話学の研究がありますから、書籍を渉猟して、ブッキッシュに神話を学ぶ道筋もあったはずです。でも、本や研究だけに頼ることをしなかった。

「森と氷河と鯨」では、ボブ・サムという特異な人間に出会います。それは偶然のように見えますが、星野さんの直感が呼び込んだ必然なんですね。そういうことが一度ならず起こる。アラスカの温泉に浸かっていたら、そこにいあわせた老人がハイダ族の末裔だった ── というような出会いもある。出会うのもまた才能なんだなと思いますね。星野さんはしかるべき時にしかるべき人に出会ってしまう人でした。その出会いを次の道に繫げるのは、星野さんの直感力。最初から最後まで、そのスタイルは変わりませんでした。

俯瞰できる高い位置から星野さんの生涯を眺めると、漠然とした北への憧れから始まった旅は、モンゴロイドがシベリアからアメリカに渡った歴史にまで行き着いてしまう。自分の関心にしたがって集めてきたパズルのピースが、最後にカチッカチッと繫がって一枚の大きな絵ができてしまったのではないでしょうか。自分はどこから来てどこへ行こうとしているのか ── 簡単には答えのでない普遍的な問いを、これほど魅力的な絵にしてしまった人は、ほかに見当たらないですね。

ワタリガラスをモチーフとした彫刻や道具を数々撮影した。

氷河が後退して残った岩を見て遠い過去に思いを馳せた。

チュコト半島で撮影。オブジェのようにそそり立つこの光景に星野さんは多くのフィルムを費やしている。


写真展 星野道夫
「悠久の時を旅する」

期間:2024年4月20日~6月30日
場所:北海道立帯広美術館
開館:9時30分~17時(入場は16時30分まで)
観覧料:一般1200円
資料を含めた集大成的な写真展。星野直子さんの講演なども予定。
詳細は美術館のウェブサイトにて。

星野道夫(ほしの・みちお)
写真家。1952年千葉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、動物写真家・田中光常氏の助手を経てアラスカ大学野生動物管理学部に4年間在学。写真家としての活動に入り、主に北極圏をフィールドとして、写真集、エッセイ集など数々の著作を発表。1990年、第15回木村伊兵衛写真賞受賞。1996年、取材先のカムチャツカ半島クリル湖畔で熊に襲われ急逝。享年43歳。

この記事の掲載号

『家庭画報』2024年03月号

家庭画報 2024年03月号

写真/星野道夫 資料写真/本誌・大見謝星斗 構成・文/三宅 暁〈編輯舎〉 編集協力/星野道夫事務所

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