〔特集〕『森と氷河と鯨』のトレイルを辿って 星野道夫「時間」への旅 アラスカを愛した写真家として知られる星野道夫さん。アラスカの大自然とそこに暮らす人々を優れた写真と文で伝え続けた。主なフィールドは北極圏。ツンドラの広がる大地を大きな群れで旅するカリブーの写真は、見る者に生命の意味を問いかけた。
その星野さんがもう一つ大きなテーマとして取り組んでいたのが南東アラスカだった。「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」は、リアルタイムに南東アラスカを旅した記録で、1995年に家庭画報本誌で連載が始まる。だが、翌1996年8月、取材先のロシアで熊に襲われるという事故で星野さんは急逝。連載は中断となる。
神話の時代に思いを馳せ、示唆に富んだ言葉の数々が鏤(ちりば)められた未完の連載をまとめた本は読み継がれ、今なお新たなファンを生み出している。
「森と氷河と鯨」の最終的なテーマは「時間」だと星野さんは考えていた。いったい物語はどこに着地しようとしていたのだろう。証言と記録資料で、星野さんが届けようとしたメッセージに迫ってみた。
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特集「星野道夫『時間』への旅」の記事一覧>>>
星野道夫の日誌から
1995年6月17日〜22日:ボブ・サムとクイーンシャーロット(現ハイダ・グワイ)への旅 連載第2回、星野さんはボブ・サムと共にクイーンシャーロットを再訪する。旅の日誌から、ボブに惹かれて行く様子と連載に対する熱い思いが滲む。
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6月17日〜18日の日記はこちら>>「ワタリガラスの神話を求めて......だんだんそのイメージが見えてきたように思う。」
6月19日 clear(快晴)タクシーでSkidegate(スキッドゲート)のTribal Council(部族評議会)に行く。何とか無事に撮影許可がおりれば良いが、呆気なく無事にすんだ。
Sandspit(サンドスピット)でBill(ビル)がpick up(ピックアップ)してくれる。食料品を仕入れて出発する。途中でblack bear(ブラックベア)、そしてたくさんのdeer(鹿)が道を横切る。しかしBillも全く気にとめない。まるで犬が道を横切るようにクマが横切ってゆくのだからここはすごいところである。
boat(ボート)で出発してすぐにkiller whale(シャチ)の群れ(family/家族)に出合い、しばらく撮影。海は波がでてきてbumpy ride(ひどい揺れ)になる。
float house(フロートハウス)が懐かしい。直子と初めての年に来たところである。
“ワタリガラスの神話を求めて”だんだんそのイメージが見えてきたように思う。ことによったらすばらしい連載、そして本になるかもしれない。
Anthony Island(アンソニー島)が見えてくる。fog(霧)に覆われようとしていて風も波も強くなってきた。こんな小さな島にあのすばらしいトーテムポールの入り江があることが信じ難い。
ぐるりと岬を回って小島の浜辺にすばらしいキャンプ地を見つける。ここはいいベースになる。嵐が来ても大丈夫だろう。
後でBobが話してくれたのだが、何となく言葉少なで静かだったのは、この場所に話しかけていたらしい。“私を受け入れてほしい。そして何も悪いことが起こらないように”と......。
浜辺の倒木が面白く、たくさん写真を撮ってしまう。鮭で腹ごなしをした後、焚き火を囲んで話をする。何気ない話からなぜBobがstoryteller(ストーリーテラー)になったか知る。
それはelder(古老)たちから選ばれたからだった。graveyard(墓地)でconstruction(建設)が始まろうとするのをBobが止めさせたのに対し、elder(古老)たちが感心したからである。
Bobが焚き火の前でstorytelling(ストーリーテリング)をしてくれた。carnivore(肉食獣/人食い魔物)の話。これはBobの family(家族)の話らしい。話を始める前に、この話が母方のgrandmother(祖母)から受け継がれた話であることを断る。それによってつまりlinealogy(家系)を語ることによって、先祖の許可をとるらしい。そしていつものようにペンダントに口をつけた。
夜の焚き火の光の中でのBobのstorytelling(ストーリーテリング)はすばらしかった。何か現実とは思えないsetting(セッティング)だ。
話の中で時々Tlingit(クリンギット族)の言葉になると、Bobの声が夜の森のしじまにひびき、なんとも不思議なatmosphere(雰囲気)を作り上げた。storytelling(ストーリーテリング)とはこういうことをいうのであろう。
Ninstins(ニンスティン)はすぐそばだし、何か遠いancestor(先祖)がBobのstorytelling(ストーリーテリング)を聞いているような不気味さを感じた。
人工衛星が夜空を飛んでいった。
6月20日 cloudy(曇り)天気のcycle(サイクル)がちょうどcloudy(曇り)に回ってきたようだ。本当に良かった。beach(浜辺)の倒木をもう一度撮る。
Ninstins(ニンスティン)の入り口から撮り始める。水面が静まった時のreflection(反射)(totem/トーテム)が幻想的である。2年ぶりのNinstin(ニンスティン)。
watchmen house(ウォッチメンハウス/編注・ここでいうwatchmenはハイダの文化遺産を保護・管理する人々のこと)側から上陸。とてもいいtrail(トレイル)。ことに岸壁のcrack(裂け目)のような谷を進んでいると、昔の人々がこの道を通っていったことを感じる。以前のように鹿がtotem pole(トーテムポール)の間を草を食べながらさまよっている。全く恐れていない。
Bobがwatchmen(ウォッチメン)の家に泊まることになった。何とすばらしいことだろう。Bobをここに連れてきて良かった。というよりBobはここに来ることになっていたのだ、raven(ワタリガラス)が導いたのだ。Bobは本当に嬉しそうだ。
しかし自分がさそわれず(2人が)、Bobだけがwatchmen(ウォッチメン)の家に泊まることになったのが嬉しかった。Bobは特別なのだ。
2年前に来た時よりNinstins(ニンスティン)のtotem(トーテム)は確かに朽ちている。最後に消え失せるまであとどの位の歳月がかかるのだろう。watchmen(ウォッチメン)はずっとそれを見続ける。それは何と正しいsacred site(聖地)のあり方なのか。
星野さんが愛読した『グレーシャー・ベイ』 は南東アラスカの魅力の本質が素晴らしい写真とともにまとまっている。
星野さんの蔵書、彫刻家ビル・リードの著書 『ワタリガラスは光を盗む』。表紙を開くと、連載の構成アイディアがメモされていた。
(次回へ続く。
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写真展 星野道夫
「悠久の時を旅する」
期間:2024年4月20日~6月30日
場所:北海道立帯広美術館
開館:9時30分~17時(入場は16時30分まで)
観覧料:一般1200円
資料を含めた集大成的な写真展。星野直子さんの講演なども予定。
詳細は
美術館のウェブサイトにて。
星野道夫(ほしの・みちお)写真家。1952年千葉県生まれ。慶應義塾大学卒業後、動物写真家・田中光常氏の助手を経てアラスカ大学野生動物管理学部に4年間在学。写真家としての活動に入り、主に北極圏をフィールドとして、写真集、エッセイ集など数々の著作を発表。1990年、第15回木村伊兵衛写真賞受賞。1996年、取材先のカムチャツカ半島クリル湖畔で熊に襲われ急逝。享年43歳。