動物・ペット

【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ 最終回】還る

2023.09.06

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1980年8月3日、19歳だった私は大学生になって初めての夏休みを東京下町の実家に戻って過ごしていた。神奈川の大学寮と違って自分が育った両親のいる家は、まだ甘ったれの若造だった私には快適だった。

その日の深夜、私は愛車のオートバイ、スズキGT380に跨(またが)り、自分の庭のように熟知した街を走っていた。この車種は現在は環境問題のために製造が許されていないツーストロークのエンジンを積んでいて恐ろしく速かった。

日が変わり4日になると雨が降りだしたが、若さが溢れていた私は面白がってずぶ濡れになりながらナイトランを楽しんだ。とはいうものの、少し寒くなってしまい、午前2時を回った頃にある場所を目指した。首都高速6号線の高架下にある片側1車線の国道である。


墨田区の三ツ目通りを水戸方面に進み、業平方面を右前方に見ながら隅田公園入り口を左折すると隅田川に突き当たる。この丁字路を右に曲がると川沿いにその道はある。20メートル頭上に高速道があるため雨に濡れないで走ることができるし、車も人もほとんどいない。一応歩道はあるものの車道から3メートルも高い隅田川の堤防沿いにあるため、酔っ払いや子供などが飛び出してくることもない。

50年前は毎週日曜日に車の通行が規制されて自転車天国というイベントも行われていた。幼少時、私はこの道で自転車に乗れるようになった。このようにここは前々よりなじみ深く、何よりも気分よくマシンを飛ばせるお気に入りの道路だった。

速度は時速100キロほどは出ていたと思う。ある地点に差し掛かった時、私は前方の景色がいつもと違うことに気が付いた。この国道は突き当たるとほぼ直角に右折するしかないL字型のはずなのに、目の前には幅8メートルもある直線が続いていたのだ。

「新しい道ができたらしいな」

私はスピードを落とすこともなく、何のためらいもないまま吸い込まれるように進入した……。次の瞬間、私の愛車は視界ゼロの濃霧に包まれた。慌てて停車して空を見上げると、尋常ではない蝙蝠の大群が乱舞していた。隅田川沿いでここまで濃い霧が発生することは今までに一度もなかったし、沢山の蝙蝠が飛び回るのを見るのも初めてだった。

それよりも驚いたのは深夜であるにも拘わらず霧自体が光を放って昼間のように明るいことだった。眼を凝らすと空にもう一つ世界が逆さまに見えた。まるで今いる街を大きな鏡で反射させているようだった。寝不足のせいで幻覚を見ているに違いないと思ったが、気味が悪くなって霧から逃げるように引き返し国道に出ると、感覚的には5分も経っていないはずなのにいつの間にか朝になっていた。それを不思議に思う余裕はなかった。何故なら街の様子が違っていて、非常に殺伐とした雰囲気が漂い、まるで見知らぬ外国に迷いこんだ気がしたからだ。

私の知っているこの街は常に活気があった。往来には仕事着姿の大工や竹細工職人、電気屋、八百屋、そして近所のおかみさんたちなど大勢の人が行き交い、甘納豆屋の店先には着物姿の美人が立って客を呼び、お茶屋の前ではご隠居たちが将棋を指していたりした。大人たちは笑顔を絶やさずに額に汗して働き、子供たちは思い切り遊び、犬たちは自由に街を走り回り、猫たちも伸び伸びと塀や屋根の上で日向ぼっこをしていた。いつもどこからか太鼓と笛の音と笑い声が聞こえていて町中が花に満ち、小道を歩けば赤飯を炊く良い匂いがしたり、地面を揺らす餅つきの振動を感じたりもした。それがどうだろう。

地味な格好のしかめっ面をした人たちが無言で歩く灰色の街がそこにはあった。いつも畳屋の前を通る際は放し飼いの犬のクロの頭を撫でるのだが、その日は仕事場の奥に鎖で繫がれていた。元気がなかったが病気なのだろうか。洗濯屋の前を通った時に、普段は歩道の真ん中で昼寝をしていることが多いスピッツが檻の中で悲しそうにしているのも変だった。

「みんなどうしちゃったんだよ」

蔵前橋通りのアーケードでよそ者に肩を当てられたのにも驚いた。この街でそんなケチな真似をする奴がいるとは……。不愉快になった私は、バイクを味噌屋の駐車場に停めさせてもらい、家に戻ることにした。しかしここでもおかしなことがあった。いつも自由な味噌屋のシェパードが犬舎の中からこちらを見ていたのだ。

みんな犬たちを繫いだり閉じ込めたりして、何が起こったというのだろう。そういえば道行く人たちの足元を自由気ままに歩き回る飼い犬たちの姿を今日は全く見ない。

家の一階は母親の経営する美容院になっている。店の扉を開けながら「おっかさん、外の様子が変なんだよ……」と言いかけた私は自分の目を疑った。

そして3歩後ずさりしてからもう一度店の外観を眺めることになった。

昨夜まで “紫色” だった厚いガラス製の扉が “赤” に変わっていたからだ……。母親が言った。

「お兄ちゃん、扉がどうかしたのかい?」

母はいつも「潤一郎!」と私を呼ぶのに「お兄ちゃん」と言ったことに違和感を覚えた。そんな呼び方をされたのは人生初だったからだ。その理由が判明し、頭が混乱してきた私に追い打ちをかけた。自分の部屋に戻ると、大切なステレオにヨダレだらけの小さな手でつかまり立ちしている赤ん坊(!)がいたのである。一晩遊んで家に帰ったら、一人っ子のはずの私に18歳も年の離れた弟ができていたのだ。

私は全てを理解した。私はどうやら “自分の生まれ育った世界と非常によく似ている別の世界” に来てしまったらしい。

真夏の夜には不思議なことが起こるようだ。それが一生を左右するほどの大事件の場合、貴方ならどうするか。

夢を見たとか単なる妄想だったなどと思えば楽になるだろう。しかし物的証拠が存在してしまったら、これはもう信じる以外ない。なぜか私の手元には私が元いた世界の写真があるのだ。そこには母親の “紫色の扉の店” がはっきりと写っている。これがある限り、私と私が元いた世界の関係は断ち切られていない。

今この瞬間が非現実なのでは、という考え方もある。でも “両方” が本物の現実の世界だったとしたらどうだろう。 “パラレルワールド” をご存知だろうか? これは “多重世界” とか “並行世界” などとも呼ばれるが、簡単に言うと、この宇宙には同時進行する世界が多数存在し、それぞれは微妙に少しずつ違うというものだ。

こんな荒唐無稽な話が実際にあって、私の体験がそれに該当するならば、私は今いるこの世界の隣に並行して存在する別の世界から紛れ込んでしまった人ということになる。とすると、元々この世界にいた私はどこに行ったのか。消えてしまったのか、それとも順繰りに押されて隣に飛んだのか。隣に飛んだ場合は端っこの並行世界にいる私はこぼれてしまうのか、それとも一周して最初に戻るのだろうか。それは誰にもわからない。

「お前はどこか浮世離れしている」と言われることが多々ある。そして私自身、今でも日常に違和感があるのは確かだ。だからやはり私はこの世界では異質な人であり、異物であるに違いない。あれから40数年経ってしまったが、19歳まで暮らしたあの楽しい世界に未練がないといえば噓になる。

ピッピッポーン! 時報が鳴った。時計の針は午前2時を指している。

私はエンジンを吹かして調子をみた後、いつでも発進できるようにギアを1速に入れたままブレーキを踏んで前方の景色を注視した。

緩やかな左カーブの先に見えるL字コーナー。その隣に陽炎のようにゆらゆらと揺れながら在るはずのない “幻の道” が見えてきた。

「今度こそ還るぞ!」

私はアクセルを床まで踏んでクルマを急発進させたのだった。


野村潤一郎(のむら・じゅんいちろう)

野村獣医科Vセンター院長。東京・中野の病院で、動物たちの守護神として年中無休で診療に当たる。自身が大の動物マニアで、爬虫類から鳥類、魚類、昆虫と幼少時からの飼育経験は膨大。現在も多くの動物と暮らす。スーパーカーやクラシックカメラのマニアとしても知られている。

この記事の掲載号

『家庭画報』2023年09月号

家庭画報 2023年09月号

イラスト/コバヤシヨシノリ

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