カルチャー&ホビー

工藤美代子さん綴る【快楽(けらく)】第6回「恋は単なる幻想か?(前編)」

2022.09.13

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潤う成熟世代 快楽(けらく)─最終章─ 作家・工藤美代子さんの人気シリーズ「快楽」の最終章。年齢を理由に恋愛を諦める時代は終わりつつある今、自由を求めて歩み始めた女性たちを独自の視点を通して取材。その新たな生き方を連載を通じて探ります。前回の記事はこちら>>

第6回 恋は単なる幻想か?(前編)


イラスト/大嶋さち子

文/工藤美代子

これは恋愛だと断定出来る理由は、いったいどこにあったのだろう。この頃は、しょっちゅう考える。あれもこれも、よくよく思い出してみると実は恋愛ではなかったのではないか。自分で恋愛だと思い込んでいただけで、本当は壮大なる勘違いだった。今になると、間違いなく恋愛だったと言い切れるものは皆無だと気づいたのは、ようやく、ここ2、3年のことだ。


念のために申し添えると、ここで私が言う恋愛とは、淡い初恋や片思いなどは別として、大人になってから異性と真剣に交際したケースを指す。

恋愛って、なんと重宝で融通無碍(ゆうずうむげ)の言葉だろう。デートをしてお互いの好意を確認し合ったら、もうそれで恋愛は始まったと信じ込む。しかし、その背景に潜む曖昧な要素は無視されている。相手と自分の間には、たいがいは大きな温度差とか深い溝とかが横たわっているのに、それを見ないふりをする。または本当に見えていなかった。

自分の過去の恋愛について思い出す時、これこそが恋愛だったなどと誇らしく宣言出来るものは一例もない。といって、今さらずるずると芋づる式に、自分の勘違いや失敗談を引っ張り出して、その原因を分析する気にはならない。なぜなら、どんな情けない恋愛であったとしても、それが実は幻想や錯覚に過ぎなかったと認めるのは、やはり恥ずかしいし、悔しいからである。

しかし、他人の例ならば、ずっと客観的に述べられる。

以前、この連載に登場してくれたミエさんから、お会いしたいと電話があったのは、世の中が長い連休に入って、なんとなく浮かれ気分になっていた頃だった。ただし、私をミエさんに紹介してくれた久枝さんは抜きにして二人で話したいと言う。なんだか声のトーンが沈んでいたので、すぐに彼女の家の近くのカフェでお茶をすることにした。

声とは時には言葉や表情よりも雄弁に、その人の精神状態を表すものだ。何かに戸惑ってミエさんが困っているような気配を私は電話から感じた。

彼女は83歳で、同年代の男性と恋愛中だ。趣味のサークルで知り合ったその木村氏は、お洒落で素敵な人だという。二人で過ごす時間は彼女にとって至福の体験であり、言葉は悪いがミエさんはすっかり舞い上がっているように見えた。

優しくて甘い言葉をたっぷりと浴びせかけてくれる木村氏には、しかし一点だけ困った問題があった。二人が睦み合うのは、いつもミエさんのマンションだった。そしてその後は、ミエさんがレストランで彼にご馳走する流れになっていた。

寿司、鰻、ステーキなどが彼の好物である。その費用は毎月5万円以上かかるという。ささやかな年金暮らしのミエさんにとっては重い負担だ。ついに、コツコツと貯めた2000万円の定期預金を取り崩すしかないところまでミエさんは経済的に追い詰められていた。

そんなことはやめなさいと、私と久枝さんが大反対したため、前回はミエさんが怒って席を立った。それがかれこれ1年くらい前のことだ。
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