「この子の名前はヒフちゃんです。1月2日に生まれたからです」
私の悪い予感は的中した。ヒフは遺伝性の脳下垂体異常から成長ホルモン欠乏性の皮膚病になって全身がカサブタだらけになってしまった。
先日、17歳という高齢で顔面にできた巨大腫瘍摘出を敢行した犬にも名前のもたらす運命を感じた。この博打のような危険なオペを受けた子の名は、やはりと言うかズバリと言うか“メンちゃん”だった。
こういった話をしたところ、ある女性が震えあがって犬の名を改名した。“ハナ”を“ハナサクヒメ”に改めたのだった。結局“ハナ”とついているので変わりばえしないと思ったが、すっかり歳をとった今でも鼻の病気にはなっていない。飼い主の極上の愛と強い願いは、名前がもたらす呪縛を打ち消す力があるのかもしれない。
皆さんの周囲には難治性の外耳炎の“ミミちゃん”や眼病にかかった“メメちゃん”はいないだろうか。科学者のはしくれたるこの私がオカルトチックなこじつけをするのは良くないこととわかっているが、データ的にはその傾向を認めざるを得ない。注意していただきたい。

飼い主が命名する犬の名にはいくつものパターンがある。
特に意味がなく可愛らしく聞こえ、かつ耳に心地の良い名前に“ルル”とか“ララ”、または“ナナ”などがある。サラッとしていて可もなく不可もない印象ではあるが、言霊エネルギー含有率が少なそうなので、変なことにはなりにくいのではなかろうか。
先の“潤一郎”や“裕次郎” “永吉” “文太”など、実在する人物の名を愛犬に付ける場合、飼い主はオリジナルの中にある個性にあやかりたいと考えるらしいが、これには特にまずい現象を確認していない。しかし、何らかの作用が本当にあるのだとすると、好まざる部分も似てしまう可能性だってある。それが許せるかが問題だ。
“ペス” “ポチ” “コロ”などの場合は犬の名前一覧表的なものの中から好みのものを選んでいるだけだと思うが、一周回ってむしろ新しいかもしれない。
ただし“ラッキー”という名の犬はなぜかアンラッキーな一生を送ることが多い。これについては例によって、少し性格がヒネクレている名前の神に狙い撃ちされているような気がする。
自分の趣味に関する言葉を名前にする人もいる。たとえばクルマ好きの男性の場合は“ラリー” “ターボ” “パワー”などと名付けたりするが、人混みで「パワー!」とか叫ぶのは“きんに君”みたいでちょっと気が引ける。
恥ずかしいといえば、“ジョセフィーヌ” “クリスティーヌ” “シモーヌ”などのフランスっぽい名前を犬につけて、「ヌーヌー」言うのも個人的にはちょっと……と思っていたのだが、今こうして文章に書きながら何度も発音しているうちに、何か素敵かもしれないと思いはじめた。不思議である。
女性の場合は食べ物の名称を好む方が大変に多い。とある綺麗なお嬢さんが4頭のミニチュアダックスを連れてやって来た。
「センセ、この子は“キムチ”この子は“カルビ”この子は“ロース”そしてこの子は……」
「あ、わかったビビンパでしょ!」
と先読みすると、「ブー! 残念でした“アンニンちゃん”でしたー」と言う。どうやらもうデザートの時間だったらしい。
また好きなアイドルグループの名前も人気で“フックン” “ヤックン” “モックン”なども人気である。
ある日、恰幅の良い中年紳士が金無垢ロレックスをキラキラさせて、ヴィトンのキャリーから3匹のトイプードルを取り出した。
「“明美” “恵子” “梨花”です」
「なるほどね……」
「先生は鋭いからもうお気付きだと思いますが、実は2号、3号、4号の名前なんです。女房に寝言を聞かれても言い訳ができるように頭を使いました」
こういう余計なことを喋る方には「あ、聞いていませんでした……」と返すしかない。
前半に紹介した「縁起の悪い陰」「身体的特徴のある主人公」「問題行動の擬音に似たもの」「肉体の一部を連想するもの」以外は概ね無害と思うが、私が知らない名前に関する因縁が他にも沢山あるかもしれないので、名付けの際は注意していただきたい。
「ところでセンセの愛犬たちはどんな名前なの」という皆さんも多いと思うので簡単に説明しておくが、私の場合はあまり深読みせずに、フィーリングを大切にしてきたみたいである。
歴代の最初の4頭はみんな女の子だったので、全て花の名前がついていて、初代の白い雑種は“リリー”。2代目からは全頭ドーベルマンなのだが、“リーラ” “ビオラ” “イリス”と紫色の花が続き、5代目からは男の子なので花の名前は中止して“ありふれた男性の名シリーズ”に変更した。すなわち“オスカー”そして現在の6代目は“ビクター”である。これらに共通するのは呼びやすい3文字であることと全てドイツ語であることだ。
オスカーは「うーん、オスかあ……」と唸ってしまうような筋骨逞しい肉体に恵まれ、その性格も穏やかで悠々としていて実に男らしい犬に育ったので、トンチ好きの名前の神がたまたま良い方向に運命づけてくれたのかもしれない。
ビクターに関しては“勝者”を意味するその名の通り、無敵感ただよう大胆な性格になり、身体も過去最大級で体重はやがて70キロに迫ると思われるほど発育が良いものの、まだ経験値が浅いこともあってか、非常にくだらない事柄にビクつくことがある。もしかしたらイタズラ好きの名前の神がVICTOR=“ビクつく人”と解釈して悪さをしているのかと思ったのだが、私はこんなこともあろうかと、秘密の対策を準備していた。
実はビクターという名は「通り名」で「忌み名」は別にあり、しかもそれはかなりカッコいい。ビクターは私だけに従い、他の誰の言うことも聞かないが、それは私がビクターに命令する時に必ず心の中で“本当の名である忌み名”を念じるからで、これは宇宙の最後が来ようが、未来永劫、たとえ神であっても邪魔することも解き明かすこともできない、私たち親子だけの絶対の秘密なのであった。