あれは森さんが下北沢に新居を完成させた頃だった。あなたに会ってもらいたい人がいると食事に誘われた。都内のホテルのダイニングルームで待っていたのは、有名な実業家の篠田氏だった。名前は知っていたが私にとっては初対面である。彼はあの当時、70歳に近かったはずだ。仕立ての良いスーツに身を包んだ、実に堂々とした風采の紳士だった。
「これからは国際的な時代になるでしょ。工藤さんはカナダに住んでいて日本でもお仕事をしている人なの。お話が合うかなと思って連れて来たのよ」と森さんは私を紹介した。私は英語がまったく苦手だし、国際色とはほど遠い人間だ。まして仕事と呼べるだけのキャリアなど皆無。きまりが悪いので、ただペこんと頭を下げた。
篠田氏は型通りの挨拶をしてくれたが、どこかムッとした表情で、対面に座る森さんの顔を見つめてずっと会話をしていた。
あっ、もしかして篠田氏は今日は森さんとデートのつもりだったのではないか。そこに変な女がくっ付いて来たので、彼は気分を害しているのだと私は察した。
巨体の篠田氏はさすがに一流の経済人らしい迫力があった。この女は邪魔だな。なんでこんなものが一緒にいるのかと思っているのがびんびんと伝わって来る。
その夜の森さんは、いつもより美しかった。きゅっとウエストが締まって見える妖艶なワンピースを着て、ゆったりとワインを口に運んでいた。今なら察しが付く。きっと彼女は補正下着を身につけていたのだろう。だからボディーラインが、あんなにくっきりと引き締まって見えたにちがいない。
それにしても、森さんがひどくセクシーなのに私は戸惑った。あれ、もしかして彼女は篠田氏が自分に惚れていると承知で、彼をじらせているのか。でもなあ、どうやら高価そうなフレンチは篠田氏がご馳走してくれるようだ。やっぱり彼にまったくチャンスをあげないのはアンフェアだろう。私はデザートが出た後に、ちょっと仕事の電話があると噓をついて、席を15分ほど中座した。
