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奇跡のような明るさで——林真理子さんが語る、瀬戸内寂聴という人生

2022.03.31

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日本でいちばん知られている作家、先生が亡くなった時、多くの人々がその死を悼み、テレビや雑誌でさまざまな特集が組まれた。

が、先生の文学者としての価値を、ちゃんと伝えていたかというのははなはだ疑問である。先生の死後、新潮社から全集の決定版が出た。八十歳からの作品をまとめたものだ。全二十一巻! これだけの全集を出せる作家はもう二度と出てこないだろう。

伝記小説、歴史に材をとった壮大な小説、私小説とよばれるジャンル、エンターテイメントに徹した小説……。とても一人の作家が書いたと思われないほど、その作品は多岐にとんで豊饒である。


数々の文学賞をおとりになり、文化勲章まで受けられた、本来なら大御所中の大御所として、京都の奥深くに座していらしてもよかったのだ。

それなのに先生は、自ら日本中をとびまわった。講演会やさまざまなイベント、どこかで災難があるとすぐに駆けつけた。戦争反対のために国会前にも行かれたのも記憶に新しい。

寂庵にもどんどん人を迎え入れた。テレビカメラも入れたし、タレントさんたちも歓迎した。世間的な不祥事を起こした人を匿(かくま)うこともしたし、対談に招いたりもした。

先生は大文学者であることに、少し照れていらしたのだろうし、なによりも人間が大好きであった。

私がある人の噂をする。

「いろいろ叩かれているんですけど、彼女、先生に会うのが夢だって」

「連れてらっしゃい。連れてらっしゃい」

すぐに大きな声でおっしゃった。

「いつでも連れてらっしゃい」

溢れるほどの知識と教養があった。仏教を学ばれ、深い哲学と人生観をお持ちになっていた。その先生が、あれほどシンプルに楽しい人になるのは不思議である。人生の深淵を見続けたからこそ、明るく陽気な人になっていった。

まるで奇跡のような明るさ。

もうあれに触れることが出来ないと思うと、本当に悲しい。悲しいけれどもどこか安堵している私がいる。寂聴先生は寂聴先生のままで、この世から消えていったから。

最後におめにかかった昨年の六月、先生がまずお聞きになったのは、百一歳で逝った私の母のことであった。

「お母さん、どうだったの」

「百過ぎたらやっぱり呆けました」

「やっぱり……、そう」

肩を落とした姿が忘れられない。先生はいちばん怖れていたことと無縁であられたのである。

林 真理子
1954年、山梨県生まれ。日本大学芸術学部を卒業後、コピーライターとして活躍。1982年、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーとなる。1986年、『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。1995年『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞、1998年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞。
『家庭画報』2022年4月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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