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東京藝大で教わる西洋美術の見かた。「メレンコリア I」傑作版画に描かれた“染み”

2021.11.01

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ここで銅版画《メレンコリアⅠ》(図1)に戻りましょう。この作品の解釈を巡っては、実に多くの研究がなされてきましたが未だに決着をみていません。

しかし、ここで私が問題としたいのは、図像全体の解釈ではなく、画面内に潜在的イメージが認められるか否かについてです。明瞭に線刻されたモチーフのなかに、一点だけ不明瞭な表現が見つかるのにお気づきでしょうか。

それは、画面左にある多面体の表面に浮き出て見える不思議な「染み」のようなものです。


図1 アルブレヒト・デューラー《メレンコリアI》1514 年、エングレーヴィング

この「染み」は偶発的な模様ではなく、作者が意図して生み出した。見えるか見えないか?何に見えるか?それは鑑賞者に委ねられる。

一見すると、版画の刷り斑のようにも見えますが、これはインクの濃淡が生み出した偶発的な模様ではなく、デューラー自身が意図的に生み出した、レオナルドが言うところの「汚れた壁」なのです。

滑らかに切り出された石の表面に、白く浮き上がる染みのようなものは、まるで歪んだ頭蓋骨のように見えます。有翼の人物像が、多面体の表面に浮かぶ頭蓋骨を見つめながら死を想い、タイトルの「憂鬱(メレンコリア)」に陥っているかのようです。

また、多面体に浮かぶ顔が彼女を見つめ返すという構造は、先に見た《アルコの風景》で岩山の横顔が向かい合う構造と合致しています。両作品ともその意図するところは分からないのですが、デューラーが生涯にわたってこうした潜在的イメージを使用し、レオナルドの「汚れた壁」を実践していたようです。

見えること、あるいは見えないことは、鑑賞者の主体性に関わる問題であることがほのめかされています。画像の解釈を鑑賞者に委ねて「開いておく」という作品のあり方は、ルネサンス時代には風変わりな、近代を先取りするものですが、アルプスを挟んだ北と南で二人の天才が共振することによって生み出されたのかもしれません。

佐藤直樹/Naoki Sato

東京藝術大学准教授。1965年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科後期博士課程中退。ベルリン自由大学留学、国立西洋美術館学芸課勤務を経て、2010年より現職。専門はドイツ/北欧美術史。2021年1月に出版した著書『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』も好評。





〔連載〕東京藝大で教わる西洋美術の見かた



1.アルノルフィーニ夫妻の肖像
2.メレンコリア I
『家庭画報』2021年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。
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