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岸 惠子さん自伝を語る。「泥沼に突き落とされてもすぐに立ち上がる力のようなものがいつの間にかできていた」

2021.07.08

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【特別インタビュー】岸 惠子 自伝を語る


岸 惠子さん

43年のパリ生活で磨かれた知性とエレガンスは岸さんを唯一無二の存在たらしめている。 ドレス/ジョルジオ アルマーニ(ジョルジオアルマーニ ジャパン) ジュエリー/すべてブシュロン(ブシュロン クライアントサービス)撮影/KEI OGATA スタイリング/坂本久仁子 ヘア&メイク/Eita〈Iris〉 撮影協力/ホテルニューグランド(家庭画報2017年3月号より)

オムレツは食べたいけれど、卵も割りたくないという未練がましさは、わたしにはなかった。──『岸惠子自伝』第Ⅱ部 映画女優として


『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』が刊行されました。映画やテレビを通じて人々を魅了してきた岸 惠子さんは近年、執筆活動に軸足を移しています。


2013年に発表した小説『わりなき恋』はベストセラーになり、岸さん主演の朗読劇にもなりました。コロナ禍で外出がままならないことを逆手に取り、自宅にこもってパソコンに向かい、毎日5~6時間を自伝の執筆に費やしたという岸さん。

完成したのは、女優として国際ジャーナリストとして作家として、常に自ら切り拓いてきた人生を350ページに凝縮させた大作です。「大切な本だから」と自身で決めた刊行日は5月1日。

「結婚するために初めてパリに降り立ったのも、離婚するために家を出たのも、5月1日。私にとっては独立記念日なんです」。

嫣然(えんぜん)として微笑む岸さんに、自伝に込めた思いを伺いました。

Q1.自伝を執筆されることになった経緯を教えていただけますか。

昨年(2020年)、日本経済新聞に連載した「私の履歴書」をきっかけに、複数の出版社から自伝執筆のお話をいただき、その一つだった岩波書店にお願いすることになりました。でも、私の人生には面白い話がいくらでもあって、全部入れたら上中下巻になっちゃう。だから、どうにか話を絞って1冊にまとめたこの本を、私は「自伝的エッセイ集」と呼んでいます。

岸 惠子さんとご両親

国語教師から神奈川県庁の職員になった父・操、母・千代子と4、5歳の頃の岸さん。横浜の遠浅の海や山下公園が遊び場だった。

Q2.副題の「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」に込めた思いをお聞かせください。

フランスの有名な諺で、「人の一生には、何度か二者択一のときがある」という意味です。オムレツは食べたい、でも卵は割りたくない、などと両方を欲しがってはダメということ。イヴ・シァンピ監督が教えてくれたもので、私は彼と結婚するためにフランスへ行くと決めた24歳のとき、最初の卵を割りました。祖国と両親、映画と決別したのです。その後も人生の大切な場面でいつも心にあった言葉です。

学生時代の岸 惠子さん

進学した横浜平沼高等学校の校服ではなかったが、憧れのセーラー服を着たくて自作。手先が器用な岸さんは裁縫が得意で、結婚後は夫や愛娘のため、洋服を手作りした。

Q3.子どもの頃の話など、描写が詳細で驚かされます。素晴らしい記憶力をお持ちなのですね。

大事な出来事やそのときに感じたことなど、肝心なことはよく記憶しています。私のいちばん遠い記憶は二・二六事件。3歳だったので、事件そのものを理解したのは後になってからですが、その日の朝、水戸納豆を食べながら、両親の緊張感を感じ取ったことはよく覚えています。

でも、日時や地名はちょっと苦手なんです。今回の本も、バンコックをバグダッドと書き間違えたり、チュニジアの首都がチュニスなのに「チュニスの首都チュニジア」と逆に書いてしまったり。編集のかたに指摘されて、自分でもびっくりしました。

19歳の岸 惠子さん

19歳の頃。親の反対を押し切って出演した映画『我が家は楽し』(1951年)が当たったことからオファーが相次ぎ、大学受験を断念。女優街道を走り始めていた。
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