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小説家・平野啓一郎さんが最新作『本心』で描く世界

2021.05.25

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近未来、20年後の青年像


――亡くなって初めて、朔也は自分が母親とふたりの世界にいたことに気づき、VFの製作を考えます。

肉親の死は悲しいことだけれど、子どもも自立していれば、社会との関わりの中で悲しみを克服していくというのが従来のイメージです。でも、朔也のような貧しい母子家庭の場合、人間関係は母親とのみで、大人になっても依存関係が続く、あるいは身近にあるのはヴァーチャルな世界だけ、というケースも、かなりあるのではないでしょうか。

特に保守的なイデオロギーで家族主義を語りつつ、現実には社会保障制度の破綻を補うために、新自由主義的な視点から家族の「絆」を強調する言説が強くなっていくと、親の生との結びつきはより濃密になり、死を克服するのはさらに困難なものになるのではないか、と思います。


平野啓一郎さんインタビュー

――読んでいて感じたのは、生活が苦しく、喪失感を抱えながらも、朔也の他者に対する優しさでした。

接する機会は少ないけれど、今の若い人たちはいい子というか、僕の世代に比べて、すごくナイーブな印象を受けることがあります。擦れていないし、政治的な批判をしたがらない。肉親の死にしても、恋愛にしても、僕個人の感覚からいえば、もう少したくましくと考えがちですが、未来の青年はこういう感じではないかと想像しながら書いていました。

――たしかに朔也の三好やイフィーへの接し方を見ていると、彼の繊細さが感じられます。

恋愛については、今まで見て見ぬふりをされてきた暴力的なアプローチに対して、社会はとても厳しくなっています。それは当然そうあるべきですが、相手の同意を得ながら、正しく恋愛のプロセスを進められるというのは、繊細な技術的な課題であり、簡単ではない、という視点も重要です。

さらに大きいのは金銭的な問題です。今の少子高齢化も、デートする時間やお金がないことがかなり影響していると思います。僕は子どもを2人育てていますが、3人以上というのはちょっと想像がつきません。子どもを持たない人、1人、2人という家庭が少なくない中、子どもが3人以上の家庭が大幅に増えない限り、人口が増えることはあり得ません。現実にできるのは減り方のスピードを緩めるくらいで、それさえ至難の業です。


「やっぱり、あっちの世界まで壊しちゃいけないでしょう」と呟いた。
「あっちの世界?」
「わたしたちのいる世界はボロボロだけど、お金持ちのいる世界は順調でしょう? あっちまで壊れちゃったら、どこにも居場所がなくなるもの。結局、こっちの世界ももっと悪くなるだろうし。それは、すべきじゃないと思う。」
僕は三好の言葉を理解しようとした。岸谷の起こした事件を、どこか別の世界の出来事のように感じたというのは、僕も同じだった。けれどもそれは、仕事が忙しすぎて、ニュースに接する時間がなかったからだった。
三好が言っているのはそうではなかった。彼女は、この世界そのものを最初から二分して見ているのだった。うまくいっている世界と、いっていない世界とに。


『本心』より


“あちら”と“こちら”。コロナ禍が明確にした格差


――今はコロナによって“こちら”と“あちら”の格差が明らかになっています。三好は自分を間接的に搾取している“あちら”の世界がなくなってほしくない、と口にしますね。

三好の言葉は、新聞で読んだあるインタビュー記事をきっかけに考えました。新自由主義的で、ほとんど全体主義的なところさえあった前政権は、若い人にメリットのあることは何もしていないのに、20代の支持率が高かった。もちろんメディア戦略はあるにしろ、なぜ彼らは自分に不利な政策を取る政権を支持するのか。

インタビューを受けていた青年の話を僕なりに解釈すると、彼は上手くいっている“あちら”の世界をスクリーン越しに眺めていて、自分もそこに行けたらいいなと思っている。“あちら”に行けないまでも、セレブがインスタにアップしたその世界を疑似体験することで満たされている。

僕自身は“あちら”の世界があるから、という考え方は変えていくべきだと思っています。ただ自分がどん底に落ちた時、そこよりも良い生活に憧れる以上のことを求められなくなる気持ちもわからなくはありません。構造的な問題まで含めて変えていくべきことが理解されないければ、上手く行っている場所や世界に希望を抱く感覚は、なかなか否定できない気がします。

――猛暑下、汗だらけで荷物を届けた朔也は、依頼者に“くさい”と言われ、会社に減点されます。物理的現実と仮想現実の境界が曖昧かつ多様になっている中で、その違いが際立つのが嗅覚です。

五感はどこまで、どのメディアでやりとりできるか。すごくグラデーションはありますけど、生身の人間と接することで感じるのは嗅覚と触覚、あと味覚ですね。

特に若い世代は清潔志向が強いので、くさいと言われることは自尊心を打ち砕かれることでしょうし、汗をかくこと自体を外部化しようという発想は、未来ではもっと強くなっていると思います。

――今、ヴァーチャル・リアリティ(VR)の世界はどこまで進んでいるのでしょうか。

オキュラス・クエスト2とか、VRの器具は新しいものが出るたびに僕も購入するんですけど、しばらく使うと埃を被った状態になっています。今のものはまだ重たいし、長くやっていると眼がものすごく疲れるんです。小説のためにVRを開発している企業や研究者にもだいぶ取材しましたが、彼らも何時間も継続していると、眼が疲れると言います。

たしかに臨場感はかなり増しているけれど、もう少し改良されないと、長時間使用するのは難しいでしょうね。技術自体はすごく進歩しているけれど、そういうストレスを乗り越えて日常化されるには、まだ少し時間がかかる気がして、20年後はこの程度ではないか、という想定のもとで小説は書いています。

〔後編〕小説に通底しているテーマは“愛”。平野啓一郎さん自選の書3冊>>

平野啓一郎 (ひらのけいいちろう)

平野啓一郎さんインタビュー
1975年愛知県出身、北九州市で育つ。大学在学中に発表した『日蝕』で芥川賞を受賞し、注目を集める。以来、小説、エッセイ、対談集など多くの作品を発表。美術や音楽にも造詣が深く、各ジャンルのアーティストとコラボレーションを行っている。近作に、映画化もされた『マチネの終わりに』ほか、『ある男』『「カッコいい」とは何か』など。2020年から芥川龍之介賞の選考委員を務めている。公式Twitter @hiranok 公式メールレター https://k-hirano.com/mailletter

【平野啓一郎さんの最新刊】

平野啓一郎『本心』 インタビュー


舞台は、「自由死」が合法化された近未来の日本。最新技術を使って再生させた生前そっくりの母と暮らす主人公・朔也は、「自由死」を望んだ母の〈本心〉にたどりつけるのか——。『本心』(文藝春秋
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/大河内 禎 中島里小梨(静物)
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