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【スーパー獣医 野村潤一郎先生の動物エッセイ】犬と人が共に暮らすということ

2021.03.25

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隣の畳屋の雑種犬のクロは一帯のボス犬的な存在だった。

畳職人が間口の広い戸のない作業場で仕事をしているその横に座り蔵前橋通りの渋滞を眺めていることが多かったが、公道にデンと置きっぱなしになっているドラム缶にナタで切り刻んだ古畳が放り込まれて火がつくと、通行人と一緒になって電線を焦がす勢いで燃え上がる炎で暖をとったりもした。

クロは町内の防犯に貢献していた。我が家に毎朝配達される牛乳が盗まれるのは決まってクロが不在の日だった。ある朝、またしても牛乳が消えた。ふと見ると畳屋のドラム缶の火で温まりながら新聞を読んでいるオジサンがいた。手には牛乳瓶を持っている。「それはうちの新聞と牛乳なんだけど」と声をかけると「ん」と言いながら折れた新聞と飲みかけの牛乳を返してきた。


ある夏の日、公園で素っ裸で眠っている男がいた。死んでいるのではと心配になって木の枝で突いたところピクリとも動かなかった。やはり死んでいたのだった。昭和の中頃、こんな事件も身近にあった私の子供時代である。

そのことがあったのでクロが道端で横になっているのを見た時に「もしや」と思いイグサで突いてみた。するとクロは突然飛び起き、カンカンになって私の尻に咬みついた。母親に「隣のクロに咬まれたよう」と言いつけたのだが、「バカ、お前がイタズラしたからだろ」とお見通しで逆に叱られる羽目になった。

“名犬風呂屋の犬”はかなりの老犬で、いつも風呂屋の入り口で日向ぼっこをしていた。なぜそんな名前で呼んでいたかというと、名犬と呼ぶには程遠いぼんやりした風貌が面白くて少々ばかにしていたのだった。どうやらクロとは仲が悪い様子で、この二人が道端ですれ違う時はお互い鼻にシワを寄せていた。

ある朝、西から見慣れない犬の大群がやってきた。どこの家の犬かもわからない彼らに恐怖を感じた我々ガキ軍団は、すぐさま東京都民銀行の重役の黒塗りのクルマの屋根に避難した。すると畳屋のクロと名犬風呂屋の犬は共同戦線を張り、それぞれの子分を呼び集め、よそ者たちを駆逐した。風呂屋の犬もやる時はやるんだなと思った。かくして街の平和は保たれた。クルマの屋根を凹ませた私はまたしてもこっぴどく叱られた。

イラスト/コバヤシヨシノリ

当時の下町の夕焼けは血のように赤かった。

これは大気汚染の原因である空気中の粒子が化学反応を起こし、太陽の低い波長を強調していたのだと思う。

真っ赤な夕日を背に受けて
小銭が入ったカゴ咥え
お肉屋さんにまっしぐら
買い物犬のペスが行く
家族のご飯を買いに行く
みんなが夕飯待っている
にこにこ顔で待っている

ペスは単独で買い物をする俗に言う“お使い犬”だった。

彼は買い物カゴを咥え、商店街が混む夕方の時間帯にヒトの波を縫うように小走りでやってくる。カゴの中を覗くと数百円の小銭と「ハムカツ三枚、ひき肉三百グラム」などと太字のマジックで書かれた紙が入っている。ペスが来ると肉屋は店から出てそれを読み、商品とお釣りをカゴに入れる。ペスはカゴの重みを認識すると急いで帰途につく。

オオカミを祖先に持つゆえに社会性が発達し、知能の高い世界最古の家畜である犬にこれをしつけるのは実はたやすい。毎日一緒に店に行けば一連の仕組みを理解する。そんなことを一人でやらせて途中で買ったものを全部食べてしまうのではないかと心配する方もいると思うが大丈夫だ。カゴの中身が犬にとって理解しやすい“肉”である以上、「これは自分と家族が生きるための大切な食べ物」と認識し、責任重大なこのミッションを終えるまでは食欲は封印されるのである。

だから任務遂行中の買い物犬の表情は真剣そのもの。または責任の重圧に耐えきれないベソカキ顔になり、とにかく早く家に肉を持ち帰ろうと必死になる。

昔はあちこちの街に普通にいた“お使い犬”を私が最後に見たのは昭和62年の秋、高円寺駅前である。今でもどこかの地方都市あたりに生息しているのだろうか。
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