仁和寺「遼廓亭」にみる
「花数寄」の光琳---黒川紀章

中学から高校まで疎開先であった祖父の家の茶室「容膝(ようしつ)庵」で過ごした私は、長い間日本の文化を大いに意識し、愛してきました。戦後、多くの人が日本を捨てたり、欧米に目を向けた時代が続いてきましたが、私の場合の日本文化への想いは根性が入っているのです。日本人の証を知りたいと思い、大学は京都を選びました。日本文化の歴史の中に多くの未来があり、別の視点で見ることが大切だと当時実感したものです。“数寄屋建築と茶室”に私の現在があるようにさえ思えます。 茶室には起こし絵図といわれるものがありますが、あれは欧米にはないものです。それぞれの面を起こすと茶室ができ上がりますが、これは日本の絵画や音楽、演劇などにも通じる二次元(平面)性やゆがみ、非対称の世界です。日本文化の中で茶室というものが何を物語っているのかということを知ることが、日本文化の美意識の原点に触れることに通じるのではないでしょうか。 光琳が乾山のためにつくったといわれる仁和寺にある「遼廓亭」は、第二世代である利休の弟子、有楽のつくった「如庵」を写したと伝わる茶室です。床脇に鱗(うろこ)板と呼ばれる三角形の地板を敷き込み、炉は向切(むこうぎり)で洞庫(どうこ)を備えるなど侘びた景色の「如庵」を写しつつ、光琳らしい琳派的な様式美を見せています。その「如庵」を写した「遼廓亭」は、私の家にある遠州の「松翠庵」写しの茶室とは根幹は同じものでも表現法はまるで違っています。 私は以前より、寡黙で簡素な性格の侘びや寂びといった日本の伝統的な美意識を「侘数寄」と解釈し、ほかに日本文化には豊かなもう一つの側面があり、それを「花数寄」と名づけてきました。数寄屋建築や茶室の様式において花数寄の花とは、異質な要素が組み込まれたことにより創造される両義性の美であり、世阿弥の『風姿花伝』の花こそ花数寄の花を意味し、“老木に花の咲かんが如し”“陽気の時分に陰の気を生ずる事、陰陽和する心なり”という奥義こそ、異質な要素の共生という美意識に通じ、これこそ本来の日本文化の伝統的な美意識であると考えているのです。 茶室においては、窓から光をいっぱいに取り入れ、さらに外部の露地や遠景を積極的に享受し、書院風の黒塗りの床框などに表れています。光琳の茶室もその意味において花数寄の美意識を持ったものといえます。(談)
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 photo by 小林庸浩 |
 下地窓(したじまど) 躙口前袖壁にある下地窓は丸竹下地で矩形(くけい)です。本歌(ほんか)では葭(あし)を用いた円窓であることから、写真のものは「光琳窓」と呼ばれています。
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 photo by 小林庸浩 |
 外壁 遼廓亭南側の外観、入り口です。腰高障子引き違い建ての構成です。右側の壁には出隅(ですみ)の柱が消されて塗り回しになっています。
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 photo by 小林庸浩 |
 茶室入り口 有楽囲いと呼ばれる入り口を写したもの。躙口が土間庇に面して開けられています。本歌では突き当たりが腰付きの障子になっており、奥に廊下があります。
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